第12回立山登山マラニック


北村さんと石井さん、立山をバックに記念撮影

第12回立山マラニックに参加して


2009年8月31日
北村 敏克 


1.今年のコースでの関門時間・私の予定時間・実績時間

浜黒崎スタート海抜0m(4:00)→雄山神社19km(関門なし・予定6:10・実時間6:20)→立山駅36km標高500m(関門なし・予定8:20・実時間8:35)ここでレース終了となった→称名滝42km標高1000m(関門10:30・予定9:40)→八郎坂出口〔弘法〕50km標高1500m(関門なし・予定11:10)→室堂60km標高2400m(関門13:00・予定12:55)→雄山山頂ゴール65km標高3003m(関門15:00・予定14:50)

2.結果

 スタートから36km地点でゴールとなった。
 雄山神社エイドでリタイアした4〜5人を除く222人ほどが完走
 トップ 3時間06分 私 4時間35分

3.走行感想

 今年も「立山マラニック」に挑戦しようと決めたのは、昨年の悔しさを払拭するためである。伴走者の石井さんも快く応諾して下さったので申込みをした。
他のウルトラマラソンなら十分に自信があり、楽しみながら走れる。ところがここの「立山マラニック」は、途中と最後に険しい山登りがあるため、最初の42kmを目一杯に走っておかねば完走はおぼつかない。最初から過酷なレースで相当な覚悟が必要である。
昨年の室堂で制限時間オーバーとなったのは以下の理由による。
・制限時間が12時間から11時間に1時間も短縮されたこと。
・八郎坂で豪雨のため岩の上で足が滑り、また岩の間を川のように流れる泥水に足を取られるなど、かなり慎重な登りをしたため、時間と体力を大変消耗をしたこと。
・視覚障害者にとって、悪天候の中、険しい山道は無理なことと自分を甘やかせ、粘り強い持続力が欠落したこと。
・弥陀ヶ原エイドからは、室堂の関門通過ができないことがわかり、歩いたため30分の制限時間オーバーとなった。

今年、私は65才、伴走者の石井さんも60才となり、共に走力が衰えてきているのがわかる。「今年が最後のチャレンジと思って頑張りましょう。」と共に練習を重ねてきた。
月間300kmの走行、京都の大文字山、愛宕山など山登りもしてトレーニングを積んできた。とはいえ、坂道の練習不足、平地でのスピードアップが不十分。など少し不安も残した。アクシデントケアとして、膝痛時のテーピングを整形外科医に習ってきた。
完走のための作戦は以下の通り。
・八郎坂では他の人より時間が1.5倍かかるので称名滝までに時間の余裕を持つこと。
・どこの坂道でもゆっくりでいいから歩かずに粘り強く走ること。
・自分を甘やかす口実は考えないこと。

8月29日 いよいよマラニック当日、午前2時、宿泊ホテルの窓からはどしゃ降りの雨と川のような路面が見えると伴走者の石井さんが教えてくれた。
浜黒崎海岸のスタート地点へ移動しても、なお、強く降り続けている。
毎年マラニックに出ている滋賀県の山崎さん、大平さんが今年はウォークに出るためスタート地点まで見送りに来てくれた。「北村さん、この雨の中で山登りをするのは、無理と言うより無謀ですよ。」と山崎さんが言う程強く降っている。
ナイロンヤッケの雨具を着てヘッドランプをつけた。その光の前は雨の幕である。常願寺川堤防はくるぶしまでつかる水たまりや、アスファルトの部分は川のように水が流れている。ヤッケの袖口に雨水がたまる。聞こえるのはヤッケのフードに当たる激しい雨音と川の濁流の音、水たまりの中を駆ける靴音だけである。そんな中でもスタッフの方々は傘をさして大降りの雨で気落ちしそうな私たちを励まして下さる。ありがたい気持でこちらからも元気を出して返事をする。雄山神社を昨年より少し遅れて通過する。これは、雨と体力低下とエイドで長居をしたためであろう。川の堤防から離れると、今度は道ばたの側溝に流れる水が、まるで、けんか腰のような音を立てて流れている。いつもならツクツクボウシやヒグラシの蝉の声、キリギリスの虫の声、鳥の声などが聞こえて、のどかな所であるのに今日は雨音ばかりである。
今年はなんとしても完走するんだと何度も自分に言い聞かせて、長い上り坂をゆっくりではあるが歩かずに走った。雨が幸いしているのか気温が上がらず走り続けられる。
でも私一人だとこんなに長く持続できないだろう。伴走者がいてくれるお陰である。坂道を歩いている人を追い超すと私に付いて走りだすが、まもなくまた離れてしまう。そんなことを繰り返しながら黙々と走る。まさに、それぞれが自分との闘いである。
この分だと称名滝エイドに到着する時間は昨年と同じ頃かなと思っていたが、太ももに疲れを覚え、また膝も少し痛くなってきた。不安が脳裏をよぎる。疲れた足での雨の八郎坂は時間がそうとうにかかるし、木道も滑るだろう。昨年に続いて制限時間オーバーになっては、同じ参加費を払っているランナーとしての伴走者に大変申し訳ない気持から、「立山駅か称名滝で私を切り離して完走を目指して下さい。」と言うと「行けるところまで一緒に行きましょう」と言ってくれる。私の走りと生死を共にしてくれようとする気持に心底ありがたく思えた。立山駅手前5キロの坂を登っているとき「今日は立山駅がゴールです。」と対向してくる大会関係の車から告げられた。
一瞬、ホッとしたが、すぐに完走するチャンスが無くなったというがっかりした気分になった。この少し前から雨は小降りとなっていた。
称名滝に合流する支流がいつもなら細い川幅なのにY字に見えるほど大量に注ぎ込み、本滝もすごく水煙を上げている。この分だと八郎坂は山道がえぐられていて歩くのも危険だろうし、バス道も濃いガスのため路肩を走るといえども危ない。とバスの中で伴走者が話してくれる。室堂に着くと、雨は霧雨となっているが、気温が10度くらいで寒い、ガスで山はもちろん、いつもなら近くに見える雪渓も見えないと石井さんが言う。雄山山頂はもっと厳しいだろう。登るとすれば、参加者名簿に挟んであった注意書き通り傍観用雨具の携行が絶対に必要である。
立山駅でのゴールは参加者にはもの足りない気持が残り、実行委員の方々も選手に走らせてやりたいお気持は十分あっただろうが、昨年の山頂での低体温事故などから、安全第一を考えて途中ストップとなったのだろう。しかし、先に書いた状況下では、勇気のいる賢明で適切な判断であった。
山登りで引き返す勇気を示されたのであろう。
バスの中、並んで座る北村さんと石井さん そんなわけで今夜宿泊する雷鳥荘には昼前に着いた。何人もの方から一昨年に放映されたビデオを見て「北村さんから元気をもらっていますよ。」と声をかけてくださる。何かのお役に立てば幸いなことである。のんびりと温泉につかり、走る仲間といろんな話ができて、とても楽しい時間であった。懇親パーティでは、実行委員長の松原さんから声をかけていただき開催の準備などの話を聞かせてもらったり、私が八郎坂を登る様子を聞かれた。また、制限時間の延長もお願いをした。
大会直前に「八郎坂の登りで、もう一人伴走者を準備しましょうか?」と電話をいただいたらしく(私が不在でお話はできなかったが。)この配慮にとてもうれしく、感謝の気持ちで胸が熱くなる思いであった。
いつも感じることだが、スタッフの受付、見送りなどの応対、拍手と大きな声援、エイドでの食べ物、どれをとっても参加者を温かい心で迎え、励まして下さる気持ちが伝わってくるし、場面によっては、感動すら感じる。また参加したくなるすばらしい大会である。
昨日、今日と天候に恵まれないが、これが大自然の営みなのであろう。いつ来ても高山の空気はすがすがしく酸素が多く思えるし、水は手賀しびれる程の冷たさで共にとっても美味しい。都会の中に住む者にとって生命がよみがえるように思える。
帰る日は山や室堂全体が、ガスに包まれてぼんやりとした灰色の中を登山客や観光客が歩いている。この天気と同じく、宿題を残したような、何となくすっきりしないまま、今年の立山マラニックは終わった。
スタッフや参加したランナーから来年もまたここでお会いしましょうと挨拶を受けるが体力的にどうかなと言うのが本心である。もちろん、3000メートルの山を登る魅力もあるし、レース自体も苦しいが楽しい。そして親切なボランティアにもお会いしたい。何とか自分を鼓舞して練習を続け体力維持に努め、再度、完走したい気持ちは強くある。
伴走者の石井さんも来年もやりましょうと言ってくれている。

以上




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