第16回 鯖街道ウルトラマラソン


2011年5月22日(日曜日)
報告: テツ

5月22日、鯖街道マラニックがありました。
今年の鯖街道マラニックは、関門制限に間に合わなかった昨年のリベンジの意味がありました。

午前6時、鯖街道の道標のある小浜市台場浜近くの商店街前からスタートし、京都の出町橋まで目指しました。
台場浜は、海抜1メートルです。
伴走は、昨年と同じく、福知山三段池JCの木村さんと、ウルトラ初挑戦となる松山さんでした。
3人の共通は職場の仲間です。これといった作戦はありませんでしたが、人一人分の道幅のつづら折りの山道を進むのが苦手の僕は、普通の道でなるべく時間をかけないようにするつもりでした。
お天気は、最初、曇りで、走りにはよい感じでした。
朝早くから、子供神輿に出会いました。しばらくすると、市街地を離れて、山へ向かっていきました。

午前7時すぎ、9.4キロ地点、最初のエードの下根来エードに到着しました。
伴走を松山さんから木村さんに交代しました。
木村さんは、しょいこ(運搬用道具)を背負って、走られていました。
上根来の集落にさしかかるところで雨が降ってきました。
林道に入り、さらに道が急な上りになるし、幅もせまくなってきたので、いよいよ、しょいこの出番でした。
ゴールするまで、三つの峠を越えるのに、僕は、木村さんのしょいこのアルミ枠につかまり、上り下りしました。
そして、松山さんが、僕の後方で、足元を見てくれました。
山道には、太い倒木がそのままにされてある所がかなりありまして、入山していきなり出くわし、先が大変だと思いました。

山に入る前のエイド、テツさん、松山さん、木村さんの後姿の写真。 19.6キロ地点、根来峠は海抜875メートルですが、ほぼまともな高さを上がってきていました。
また、このときは雨が一番激しくなったように感じました。
24.6キロ地点の小入谷に下りてきた時は、また、まともに走れる嬉しさが戻ってきました。
伴走はそのまま木村さんでした。
松山さんは、30メートル程前を走って、いい感じで引っ張っていました。
エードが前方にあり、27キロ地点、百里小屋エードまで来ました。
このエードは、ミントJCの方々がお世話してくださっていました。
なかなかなかたにさん、ふくさん、さっちゃん、きぃさん、とよさんのお声はわかりましたが、ほかにも雨の中、頑張っておられました。ソーメン、オレンジなど、エネルギーを補給して、また走り出そうとしていたら、雨足が激しくなりました。
しかし、第1関門を通過するまで、残りの時間は約90分。距離が11.6キロありました。
今度は松山さんの伴走でした。

36キロ地点、山本酒店エードに到着しました。百里小屋からここまでの9キロは、細かな上り、カーブが繰り返され、蛙の合唱が入るくらいで、何か気分を切り替える景色の変化があるわけでなく、単調な走りがかえって、足の疲れを感じさすようでした。
それで、このエードでコップ1杯のスポーツドリンクで、一息入れて、すぐに走りました。
38.6キロ、川合の第1関門は、封鎖の5分位前に通過しました。

41キロ地点の久多エードに着いて、おにぎりなど補給。トイレをすましてコースに戻ると、僕ら以外のランナーはいません。
ここから、オグロ坂峠、八丁平に向かいました。

雨は完全に上がりました。しかし、道は、水たまりやぬかるみができていました。
二つ目の山道に入って、僕ら3人の前後に人の気配がない時間があり、気持ちが落ち着かない時もありました。
この山にも、倒木が、短い間隔で道をふさいでいました。
前方に人を発見するのと、後ろからも人が上ってくるのを察すると、ホッとしました。
雨は上がっていても、道は水を含んでいて、バックアップしてくれている松山さんまで、おっとっと!
頂上は870メートル。
ここまできたら、水分補給の時間間隔が短くなり、200ミリリットルペットボトルの水はなくなってしまったのですが、丁度よいところに、湧き水がありました。

46.8キロ地点に、八丁平エードがありました。
このエードは、以前にはなかったもので、この先の山道の出口に尾越エードがあったのが、今は、山中のエードとして設けられ、八丁平エードとしてあるわけです。このエードの変更は、次の52キロにある大見エードまでの距離のバランスはよくなったと思いました。
大見エードで、コーラ、水、コーヒー牛乳、お茶、オレンジと、もう食の感覚がバラバラでした。
大見エードを出たら、地道になり、さらに石がゴロゴロした悪路でした。
足は石につまずくし、石に乗れば、踏み外しました。いらだっていました。
この山道を越えたら、あとは普通の道ばかりだ。苛立ちを抑えました。
ここの頂上は、850メートル。
平坦でも道幅が狭く、ぬかるみもあり、走れなかったのですが、道の外にオートバイが棄てられていた所から、道幅にゆとりがあり、なんとか走ることができました。
盗難バイクを乗り回して、その先進めず、乗り捨てたのか?

さて、問題の制限時間は気になっていたはずですが、先輩方は焦った様子が感じられませんでした。
コースにいたスタッフが、杉峠エードが近いことを教えてくれました。
これで山道から解放されると思うと嬉しさで、足に元気が出てきました。
56.8キロ地点の杉峠エードに、午後3時19分ころ到着。
このエードは、Fランとわーわーずの方が中心になって、お世話してくださいました。
くーさん、むーさん、井口リータさんらがおられました。
ここでも、ソーメンがありました。とうふソーメンでした。
伴走は、木村さんから松山さんに代わり、午後3時25分に杉峠エードを出まして、次は63.5キロ地点、第2関門の鞍馬エードを目指しました。
1キロ6分で、次の関門は通過できるとは思っても、アクシデントに合えば、終わりになります。
エードから数百メートル、道を下ると、花背峠の道に合流しましたが、傾斜のきつい箇所あり、ヘアピンカーブありの約4キロは、下り坂とはいえ、スピードは出ません。
きつい下り坂を無事に下りて、ほぼ平坦な道路を飛ばしました。
前方から、「てっさーん!」と呼んでいる声がしました。
わかちゃん練習会がエードを出しておられ、立ち寄って、コーラと水をいただき、鞍馬エードまで1.5キロと聞いて、急ごうと、エードを後にしました。

ここで終わらすわけにいかない気持ちは、足に力呼び起こしていました。
そして、63.5キロの鞍馬エードに到着。
関門封鎖の2分前でした。
ここは、挨拶をしてから、オレンジの一切れを手にするやいなや、出て行きました。
せっかく、第2関門を抜けたのだから、あと3キロを我慢して行け!、けつまずくな!、こけるな!なんも邪魔するな!、僕の頭の中にそんな文句が繰り返されていました。

66.7キロ地点、第3関門、市原エード前に、午後4時27分ころ到着。
杉峠エードから市原エードまで、走り方をいえば、ウルトラモードではなく、10キロロードレースを走っているようなものでした。
市原エードでは、上がった息がなかなか鎮まらず、その場にいても、ゴール時間が迫っているので、歩きながら、息を整えようとしました。
しんどさと軽い眠気で、歩いたり、少し走ったりしていました。
松山さんの、「今、たかばしの所にきた。」という声に、ハッ!としました。
眠気で意識が朦朧として、距離感が狂っていました。
賀茂パーのホームコースに入っていたので、ゆっくりでも、残り6キロをしっかり走ろうと気合いを入れました。

71.5キロ地点の西賀茂南エードできゅうりをいただき、ゴール制限時間まで残り45分だと聞いて、木村さんの伴走で、走り出しました。
もうゴールまで、何事もなくいけると思っていたのですが、北山橋の北側で、つまずき、こけちゃいました。
かなり疲れてくると、こけ方が悪くなるもので、もろに肘を擦ってしまいました
でも、もうすぐゴールで、迎えてもらうには、笑顔でありたいからです。

出雲路橋を先に松山さんが東から西へ渡り、1分位してから、木村さんと僕が渡りました。
葵橋で松山さんが、大会スタッフの白熊さんこと長岡さんと話をして待ってくれていて、3人が並走状態になりました。
拍手が迎えています。
制限時間近くまで待っていてくれる人たちには、恥ずかしながらただいまかえってまいりましたという照れくささ、
自分自身には、余分に1年待った瞬間がくるという期待感がありました。
今大会、一緒のスタートをした菜の花さんは、大会前に風邪が長引き、満足な走り込みができず、前日からお腹の具合が悪く、当日の雨は彼女には追い討ちをかけたようでしたが、コース上に駆けてきました。
自分のことをそっちのけて、精一杯喜んでくれていました。
そして、Bコースを走り、ゴールをしていたオリーブさんと、友人の完走を迎えられた堅田さんも、大変喜んで、3人のゴールを見届けてくださいました。
11時間50分59秒!
長いこと走って、たくさんの人にお世話になりました。
エードには、全部立ち寄り、疲れや空腹をおさえてもらいました。

僕らのゴールは、大会終了に近いものでしたが、話しかけてくれる人たちと、レースを振り返ったりなどして、しばらく、余韻に浸っていました。
そんな中で、堅田さんには、僕らにビールを用意してくださいまして、もう最高の味をかみしめて、のどに、五臓六腑に、つまさきまで、あじわせてもらい、本当にありがとうございました。
山道の先導役の木村さんは、僕が出た大会を通じて、伴走を勉強し、フルの伴走をひとりでこなせるほどの実力です。僕は、木村さんを、影のかもパー福知山支部長だと思っています。
松山さんは、伴走の力はいわずとしれた人ですが、サブ伴走にいても、力を持っています。サッカー部で、ハーフをやっていたように、前を後ろを、時には横を、状況を見て走るのは、今も健在です。
二人の先輩に、大変感謝しています。
最後に、僕が走りに行く所で、お世話になったみなさんに、力をくださったことを感謝しております。



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