第24回福知山マラソン 第15回全日本盲人マラソン選手権


2014年11月23日(勤労感謝の日)
報告: 宗平

初フルマラソン体験記


11月23日 福知山に向けて出発!
 4時半起床!これがまず辛い。こんな時間に起きたのはいつ以来だろう?何年か前に修学旅行を引率したとき以来のことではないだろうか。
マラソンの受付は9時に終了、ということはまだ特急の走っていない時間帯に福知山に着かなければならないということなのだが、なんと福知山マラソン号なる快速が1本臨時で運転されている。
その電車は京都駅を6時33分に発車することになっているが、万一座席が満席で2時間立ちっぱなしで行くようなことにでもなれば、マラソンどころの騒ぎじゃない。ということで、高槻を5時23分の電車で行くことにしたのだった。
京都駅を出発し、山陰線ののどかな雰囲気を感じながら、うとうとと揺られることしばし。どれほど時間が経ったのかわからないが、どうやら電車が長い時間止まっている。なんだろうと思っていたら、園部より先は単線区間になるため、逆向きの列車を待つためにしょっちゅう止まっているらしい。
そうだ、止まってるうちに、と思い、リュックからおにぎりを出して食べる。朝食と本番の間に何か食べておいた方がエネルギー切れにならずにすむのだそうだ。
福知山駅に着くとやはりすごい人だ。シャトルバスで会場に到着。1万人程が参加していたようだ。
着いたときは霧が出ていて、これは寒そうだと思っていたのだが、着替えをすませて外に出てみると、曇ってるとひんやりするけれど、陽が出ていると少し暑いぐらいで、半袖、半パンで十分だった。

 今回の伴走は、毎週平日に練習をお願いしているとんさん。いろいろなアドバイスをいただき、最初から最後まで、1キロ7分のペースをくずさずにゴールすることを目指すことになった。
それから、多くの方から、「最初に下り坂があるけれど、絶対に最初飛ばしたらあかんで」と言ってもらっていたので、それを肝に銘じておくことにした。
まぁ、42キロなんてのはこれまでに走った経験のない距離なので、最初に飛ばしてしまったら早々にリタイアすることは目に見えていたということもあるが…。
もう一つ楽しみにしていたことがある。今まではハーフマラソンまでしか出ていないから、エイドにてスポーツドリンクをもらったことはあったが、食べ物をもらう経験も初めてだった。バナナや飴なんかがあると聞いていたので、それをもらうというのも個人的には結構楽しみにしていた。
「初フルマラソンに出ます」と言ったら、「目標タイムは?」とよく聞いてくださっていたのだが、正直なところ「よくわからない」というのが本音だった。
とにかく、楽しもう、完走してみたいなというのが目標で、途中の制限時間に引っかかってバスに乗って帰るというのをできたら避けたいかなというところがとりあえずの目標だった。

 10時30分。いよいよ福知山マラソンがスタートした。暑くもなく寒くもなく、曇りがちだが晴れ間もあって、天気は味方をしてくれているようだ。
最初に噂の下り坂を下るが、7分ペースを死守すべく、抜かれるがままに抜かれていった。
よしよし、これでいいのだ。しかし、みんなえらい速いなぁ。とんさんが適宜ペースを教えてくれる。1キロのところで7分20秒だ。ゆっくりペースで行くということは守れているようだが、若干ゆっくりすぎるようだ。
しかし、まだまだ長いこれからのことを考えるとこれでいいぐらいかもなと思いつつ、沿道の応援が力強く、わずかにペースアップしたようで、2キロ地点ではだいたい1キロ7分のペースになっていた。この辺りから少しずつ混雑していたランナー達が分散してきたような感じだった。
それにしても、沿道の応援はすごい!おばちゃん達のパワフルな応援、どこのおっさんやと思わんばかりのえらい熱い応援、子どもの声の限りに叫んでくれる「頑張れ!」、太鼓のドンドコドンに、何かの歌を熱唱しての応援。
「ありがとう」と言ってるおばちゃんもいて、これは「福知山マラソンに来てくれてありがとう」という応援なのだろう。町おこしとしても大切な大会なのだろう。
そんなこんなで10キロ地点に到達。おおよそ1キロを7分弱で走れているようだ。
さて、途中でスポーツドリンクを一杯いただいたが、まだ食べ物は置いていない。そんなにすぐには食べさせてもらえないようだ。
おっと、何やら賑やかな音が、と思ったらおそらく高校生のブラバン演奏のようだ。なんだか元気の出る曲、なんやっけこの曲聞いたことあるなぁ、おそらく嵐のなんやらという曲やったんとちゃうかな?と思いながら走っていると、ついに出ました、バナナのエイド。
何でも初体験は新鮮で嬉しいものだ。ちなみに、バナナは半分ぐらいにカットしたものが皮ごと渡されるのだろうと想像していたのだが、手に置いてもらったものは、あれっ、もう皮は向いてくれてるのね。
これもどうぞととんさんが渡してくれたのはチョコレート。走りながら食べるチョコレートはなんかまた違った感じで面白い。甘さをよく感じられるし、歯にくっつく具合が何か違うふうにも思えるので不思議なもんだ。
バナナと甘いものを食べると何か飲み物がほしいところだが、なかなか次のスポーツドリンクがない。やっとのことでドリンクをゲットすると、今度は紙コップになみなみとつがれていて、全部はいらないという感じだった。
どうやら、みんな少し飲んであとは地面に流して紙コップもポイしている。なんだこの光景はとやや衝撃的で、後始末がたいへんではないかと思ったのだが、スタッフのみなさんに甘えることとした。

 さて、20キロ地点にやってきた。これは普段カモパで練習する距離を少し過ぎたあたりだが、それ以上の距離には慣れていないためか、いよいよ足が痛くなってきた。後の半分の距離をこの痛みを抱えて進めるもんだろうか。ただ、まだゆるい痛みなので、1キロ7分弱のペースをキープした。
折り返し近くに来て、急に風が冷たくなってきた。由良川に沿って走っているはずだけど、川は少し離れているのか、水の気配はあまり感じられない。川に沿って北上している間になんといつのまにか舞鶴市に入っているのだとか。思えば遠くに来たものだ!
子どもが「おにぎりいりませんか」と言っている。「おっ、おにぎり」と思ったのだけれど、とんさん曰く、かなり大きなおにぎりだったようでちと食べにくそうなので泣く泣く断念。
大会の方で準備してくれているエイド以外に、今のおにぎりのように個人的に出してくれている私設エイドというのも何カ所かあったようだ。
 折り返しを過ぎ、足はどんどん痛くなるばかり。特に膝より上の部分とふくらはぎがだいぶ悲鳴をあげ始めている。「30キロの壁」なるフレーズをときおり耳にするが、それはたいへんうなずける話である。
30キロ地点も1キロ7分弱のペースで通過した。10キロ地点のときは「よし、4分の1まで来たぞ」、20キロ地点では「よし半分終わったぞ」と思えていたのだが、30キロ地点ではそこまでの元気はなく「まだ12キロもあるのか?」と思わざるをえない状態で、やはりマラソンは気持ちとの勝負であるということがよくよくわかった。
そんなランナーの気持ちを知ってか、応援してくれるエイドの間隔が狭まっているゾーンがあった。
まずは、おにぎり。おっ、とんさん曰く、このおにぎりは一口サイズだということでそりゃありがたい!炊き込みごはんの美味しいおにぎりをいただいた。
その後、バナナのエイドに立ち寄った。手に置いてもらうと、おーっと、こりゃバナナまるまる一本じゃありませんか。ふとっぱら、と思いながら、チョコレートももらって、チョコバナナ気分にて走り始めた。
「あ、リンゴがあるよ」と教えてもらって、結構酸味を求めていたのでもらおうと思ったけれど、ちと行き過ぎてしまっていて、引き返しは断念した。
 痛む足でだましだまし走ってきたが、そのだましが効かなくなってきた。34キロ地点からもはや1キロ7分弱のペースが保てなくなり、7分半ぐらいのペースまで落ちてきた。
そういえば、これまでに1日で一番長く走った距離というのは、途中休憩を入れてではあるけれど、先月カモパ合宿で姫路で走った35キロだった。
そんなことで、35キロ目前でペースダウンするのはやはり修業不足だということは否めないのだろう。足が痛くなってきて、ペースダウンしているせいもあって、1キロが随分長く感じられるのだ。
34キロから37キロあたりが地獄だった。足はパンパンで、ゴールまでの6キロ、7キロというのが途方もなく長く感じられる。
もはや楽しんでいるという感覚はなくただただ苦痛の時間だ。沿道の声援に笑顔を返すどころではなく、「頑張れ」と言ってもらっても、「いや、もう頑張ったよ」と言いたいぐらいであった。
とんさんが「とにかく最後まで歩かないようにしてね」と言うのだけれど、苦笑いするしかないという感じだった。
 そして、37キロ地点。とんさんが「あと5キロでゴールだよ」と言ってくれるのだが、あと5キロ。それってカモパの練習で通学橋から基地まで戻ってくる距離=結構な長い距離というふうにしか思えなくなっていて、さすがにこの足の状態ではどう考えても無理だという境地に達してしまい、歩かせてもらうことにした。
歩くのですらきついなぁと思っていたら、とんさんが「歩くにしてもゆっくり歩くのはやめよう」と言って、随分引っ張っていってくれるので、これはこれは歩くのですら辛いですなぁという気持ち。しかも、沿道のおっちゃん曰く、「おい、やめたらあかん」と言うもんで、これがなかなかに辛いところだった。
そんなとき、歩いてではあったけれど、最終関門に到達。これでとりあえず途中で時間オーバーで失格とされずにすんだわけだ。
とぼとぼと歩くこと2キロ。少しばかり足が動くようになってきたような気がした。で、39キロ地点…つまりあと3キロ。3キロならなんとか走れるかもと思えるようになった。5キロなら無理かもしれないけれど、3キロならなんとかという思いだ。
で、最後の1キロは上りなのでそこはなんなら歩いてもいいととんさんも言ってくれていたので、少しばかり気が楽になっていたのもよかったようだ。
せっかくここまで来たのだ。行けるところまで頑張るぞと思い始めると、また沿道の声援がありがたくなってきた。それから2キロ、41キロ地点までやってきた。
カーブを曲がったら上り坂なので、そこからは歩こうと思って左折した。すると、最後の1キロということもあるのだろうけれど、大勢の人が応援してくれていて、そこからペースダウンさせてくれるような雰囲気にあらず。「えっ、この坂を走って上らなあかんの?」という衝撃の事実を告知されたようではあったが、とりあえず行けるところまで行くことに決めた。
とはいっても、それなりの上り坂のため、なかなかきつい、きつい、きつい!数100メートル上って、「うーん、やっぱりきついぞ、こりゃ」と思っていたら、沿道からてらやんの「宗平、初フル完走おめでとう」の声が。そうか、もうすぐフルマラソンを完走できるのだ、と大いにパワーをもらい、その後も沿道より「あと何100メートルでゴールですよ」「おめでとうございます」と言ってくれる声に背中を押してもらい、あと300メートルまでやってきた。
で、この300メートルがきつく、100メートルが長く感じられたのだが、そんなとき、ゴール地点からなのか、サザンの「希望の轍」が流れてきた。いい曲だなぁと思っているうちに、曲のリズムに乗っていて、メロディーの流れに乗っかって、そのままゴールイン!
42.195キロを完走、4時間58分28秒、嬉しかった!とんさんと喜びを分かち合い、完走証と完走Tシャツをいただいた。
着替えをしてから、妻に電話をして「完走したで!」と言おうとしたのだが…。「よかったなぁ。思ったより速かってびっくりしたわ」とのこと。あれ、なんでと思ってたら、福知山マラソンのHPでゼッケン番号を入れたら、10キロを何分で通過したかや最終結果がわかるのだそうで、ICチップとはすごいものだと妙に納得した。
 この後は打ち上げというのに、しかもお昼ごはんはエイドのバナナと小さなおにぎりだけというのにお腹がすいていない。慣れない距離を走ったからなのだろうか。普段食欲がないということはあまりないのだが…。
でも、面白いものでごちそうのオードブルを前にすると、テリーヌも唐揚げもグラタンもピザもスパゲティも食べられてなんだかほっとした。カモパ仲間の今日のマラソンの話をいろいろ聞かせてもらえて、非常になごやかな打ち上げだった。てっさん、ありがとう!あとは特急に揺られて帰るだけ。

 34キロ以降はあまりにもきつくて、「フルマラソンはもういいや」などととんさんに言ってたら、「まあそう思うもんだけれど、それがまたエントリーしてしまうから面白いもんなのだ」と。今はそんな気にもなれないのだけれど、次は1月にハーフマラソンを2回入れているので、それを目標にしていこうと思う。
 一人で42.195キロを伴走してくださったとんさん、一緒に走ったみなさん、たくさん励ましをくださったみなさんどうもありがとう!



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