第24回福知山マラソン 第15回全日本盲人マラソン選手権


2014年11月23日(勤労感謝の日)
報告: テツ

フルマラソンを初めて走ったのが、2006年淀川マラソンです。
6時間26分のタイムで、ゴールにたどり着いたのでした。
それ以降のレースは、後半に足が止まっては歩いてしまうことがあり、リタイアしたことも2回ありました。
自分にはフルマラソンは無理なんだと思いながら、練習をしていた時期もありました。
2011年の福知山で4時間1分くらいでゴールして、サブ4にリーチをかけてからも、大会にでても4時間に程遠い結果に、可能性がだんだんなくなるようで、不安でした。
それでも、フルマラソン以外の種目で自己記録を伸ばしてみたり、ウルトラに出てみたりして、自分の体力、走力が今どのあたりにあるのか、出来たことを自信に変えてきたように思います。
気持ちが前向きになった頃から、月間走行距離を段々増やしてきました。
いつだったか、反省会の場所で、サブ4プロジェクトの話を出した人がいました。
プロジェクトのことはそれきりでしたが、今年、夏、福知山のエントリーがすんだ後に、関野さんが、サブ4プロジェクトのことを思い出し、伴走者として逆オファーをしてきました。
そして、すでに伴走を頼んでいた松山さんとの、チームができました。
広い意味では、僕に、「サブ4を達成しろ」と激励してくれたり、練習でロープを持ってくれたパートナーは、みんなプロジェクトチームのメンバーであります。
今回のレース、第1伴走が松山さんで20キロ地点まで、第2伴走が関野さんでゴールまで、お世話になりました。
1キロ5分30秒のペースで走ること、1時間50分で伴走リレーすること、5分半をどこまで守れるか、そんなことを走る前から話していました。
前半は少しペースが速く、伴走交代をしたときは、1時間48分でした。
23キロ地点にかかる前に、つまずいて、転倒し、左膝の下、左腕をすりむいてしまいました。
それよりも、つまずいた時に、ピーンとくる痙攣がふくらはぎに来ました。
ヤバいことになったと思いました。
そこから30キロ地点まで、我慢で走り、通過は2時間43分でした。
やはり、ここから先は、我慢の我慢というか、歩いたら、サブ4が遠のいていくようでした。
膝はあまり無理に上げず、マンホールがあると、気持ち一つ上げる程度でした。
33キロ地点の時計はキロ6分を超えてきました。
次の1キロも6分半くらいでした。
このあたりから、、エードで塩がないか尋ねました。
丁度、塩昆布を置いていたので、水と昆布をいただきました。
スポーツドリンクを飲んできていると、口の中が甘くて、食塩の方がいい感じなのです。
関野さんは、1秒も無駄にできないといわんばかりに、エードの数十メートル手前から、大きな声で、「水!、水!」などと連呼してくれていました。
ゴールまで残り3キロの所で、4時間内ゴールのメドが出たのか、関野さんは「行けるぜ!、テツさんならいける!」と言いました。
更に、最後の坂に入ってから、「あと1キロ、10分!」と強く言いました。
そして、ラスト500メートル辺りの沿道に、前半に伴走してくれた松山さんが出迎えてくれていました。
先輩、お待たせしました!
長かった。やっとここに来れた。
頭の中で数字を数えていると、「ゴール!」の声が聞こえました。
関野さんに一礼したのが、やっとで、前にしゃがみこんでしまいました。
足がよう持ちこたえてくれた。
これまでのことをじっと思い出していました。
関野さんがドリンクを差し出してくれて、動く気になりました。
更衣室に向かう途中に3時間57分59秒のタイムをかみしめていると、じわじわ嬉しさがこみ上げてきました。
かもパーのみなさん、長くお待たせしました。
練習につきあってくれたパートナーの諸氏、本当に本当にありがとうございました。
どうぞこれからも練習に、レースに、お声をかけた折りには、よろしくお願いします。





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